百戦錬磨の指揮官が、緊張の面持ちで壇上に上がった。「これまで彼は4度、受賞しているそうですが、今日は初めての特別賞。喜んでいることでしょう」賞の重みを感じながら、渡米中のスーパースターに代わって特別賞受賞の感激に浸った。
過密日程を縫っての代役だった。ウインターミーティング参加のため今月9日に渡米。メジャー要人との会談だけでなく、ポスティングシステムでのメジャー挑戦を目指す中村のトライアウトの視察や、残留を願っていたバーンの代理人との交渉にも立ち会った。
13日午後に帰国し、この日、疲れも見せず大阪から空路上京。「彼もいま、ロスで忙しくしているそうですから」と話す仰木監督は、15日に神戸で行われる新人入団発表出席のため、この日のうちにとんぼ返りした。名残惜しそうにパーティー途中で帰阪した指揮官だが、オフも異国で走り回る“愛(まな)弟子”に負けてはいられないと言いたげだ。
イチローのメジャー記録達成直前の9月30日にも飛行機に飛び乗り、歴史的瞬間を現地で目の当たりにした。7日に大阪で行われた自身の殿堂入りパーティーで、イチローから「14日の授賞式はお願いします」と直々に依頼され快諾。史上最年長監督は「きょうはイチローになりきってます」と、おどけて見せた。
94年の前回のオリックス監督就任直後、無限の素質を一瞬で見抜き、登録名を「イチロー」として売り出した“生みの親”。10年たったいまもイチローが「僕の唯一の恩師」と公言する間柄で、世界のどこにいても連絡を取り合っている。渡米時には弓子夫人と愛犬・一弓(いっきゅう)と水入らずで食事をともにした。
「今年、これだけの成績を残してしまって心配という部分もある。でも、満足しない彼のこと。次から次へと目標を立てることでしょう。今後、何度この賞をいただけるか応援してやってください」海の向こうでの偉業達成に日本中がしびれた04年10月2日。仰木監督は近い将来、そんな日が再び来ると確信している。
◆イチロー 本名・鈴木一朗。1973年10月22日、愛知県豊山町生まれ。31歳。愛工大名電高から91年のドラフト4位でオリックス入団。94年に日本プロ野球初のシーズン200安打を達成し、打率3割8分5厘で首位打者。00年ま で7年連続首位打者を獲得し、同年にポスティングシステム(入札制度)でマリナーズ入り。01年は新人王、首位打者、MVPを獲得。今季は262安打で年間最多安打記録を更新し、2度目の首位打者。178センチ、77キロ。右投右打。家族は弓子夫人(39)。