◆経験より調整 悩み抜いた1か月 自らの意思
夢だった海外移籍は自分の手にゆだねられていた。11月9日にペルージャから正式オファーが届いてから1か月。しかし、悩みに悩んだ末、柳沢が出した最終決断は残留だった。「来年もアントラーズでしっかりやっていきたいと思います」決意を固めた後の表情は晴ればれとしていた。
最大の焦点は2002年W杯だった。イタリアに行けば、海外の経験を積める。技術的な成長も望める。だが、一方で日本代表合宿は来年1月末からびっしりと組まれており、海外にいては日程調整が厳しい。新しいチームで試合に出られる保証もない。W杯に向けたコンディション調整という意味では、鹿島に残ったほうが計算ができた。「(移籍は)今というタイミングではないと思いました」と残留の真意を説明した。
この日、鹿島の鈴木満強化部長(44)と話し合い、自らの意思で最終決断を下した。7月にペルージャから正式のオファーを受けた際は、鹿島側が拒否。そして今回は柳沢の意思で移籍を見送った。報告を受けた牛島洋社長(58)は「ベストな選択だと思う」と率直な感想を話した。
決して後ろ向きな選択ではない。むしろ、夢をつかむための前向きな決断だった。「W杯の後、いいオファーがあればチャレンジしたい」世界中が注目する大会に万全な態勢で臨み、海外挑戦の選択肢を増やす狙いがある。今回も後押ししていた鹿島側はもちろん、W杯後の移籍を容認。牛島社長は「いいオファーがあれば、送り出したい」と明言している。鹿島は来季の複数年契約を提示しているが、決して移籍を縛るものではない。
オファーを受けてから、必死に語学勉強に打ち込むほどの努力家。ジーコ総監督も「柳沢は先を見て練習をしているから、日本でも上達できる」と話す。一生に一度の母国でのW杯はもうすぐ。6か月後に決断の答えは出る。