堺屋太一さん、死去…「巨人、大鵬、卵焼き」「団塊の世代」名付け親

「団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日午後8時19分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。83歳だった。通商産業省(現経済産業省)では、1970年の大阪万博の企画などを担当。その一方で在職中に作家デビューし、数々のベストセラーを発表した。昨年11月に開催が決定した2025年の大阪万博も楽しみにしていたが、開催を見届けることはできなかった。
時代を読み解き、将来を見据える洞察力の持ち主であると同時に、歴史にも造詣の深かった堺屋さんが、静かにこの世を去った。
関係者によると、昨年までは講演などを精力的にこなしていた堺屋さんは、今年に入り体調を崩して入院。持病もあったことから静養に努めていた。回復は順調で、堺屋さん自身は「文筆活動など、入院中でもできる仕事はしたい」と意欲を見せるところを、医師らが「休養するように」と止めていたほどだった。
だが、今月6日に体調が急変。最期は洋画家の妻・史子(ちかこ)さんらにみとられ、息を引き取った。経済誌「週刊東洋経済」には堺屋さんの連載「人類発明史」が2月9日号まで掲載されていたが、関係者によると入院前に書きためていたものだったという。
東大卒業後の1960年に通産省に入省。翌61年の経済報告の会見で、高度経済成長が国民に好まれる例としてアドリブで口にした「巨人、大鵬、卵焼き」が流行語となり、若くして注目を集めた。後に「仲間内での冗談を思い出して、ちょこっと言っただけ。ここまで広まるとは思ってなかったが、時代に合っていた言葉だったんでしょうね」と振り返った。78年に通産省を退官。98年から2000年までは民間人閣僚として経済企画庁長官に入閣。第2次安倍晋三内閣では内閣官房参与に就任した。
在職中の75年には「油断!」で作家デビューし、第1次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた76年の同名小説はベストセラーに。著書が82年の「峠の群像」、96年の「秀吉」と2度、NHK大河ドラマの原作となるなど、歴史小説も数多く手掛けた。
多彩な活躍の中でも、とりわけ目立ったのは「万博」への熱意だ。日本初の国際博覧会となった70年の大阪万博の企画を担当。その後、出向した沖縄開発庁(現内閣府)では、75~76年開催の沖縄海洋博にも関わることに。05年の愛知万博(愛・地球博)では最高顧問に就任するなど、「未来」を予見できる博覧会の開催に尽力を続けた。
橋下徹前大阪市長のブレーンとして11年から大阪府・市の特別顧問に就任し14年7月、大阪に万博を招致することを提唱。昨年11月に開催が決定した時には「今から25年が楽しみで仕方ない」と周囲に何度も話していたという。関係者によると「大阪の地盤沈下を食い止めたい。それまでは生きていないと」と最近まで意気込んでいたそうだが、「大阪の未来」を見ることはかなわなかった。