【巨人】ドラ3直江大輔、菅野になる!ミレニアム世代NO1「沢村賞」宣言

スポーツ報知
校舎正面にある球団OBで松商学園出身の中島治康像の前で飛躍を誓った直江(カメラ・橋口 真)

 巨人からドラフト3位で指名された松商学園高の直江大輔投手(18)が2日、ミレニアム世代NO1投手に上り詰め、将来的な「沢村賞」の受賞を目標に掲げた。長野・松本市内の同校で指名あいさつを受けた最速145キロ右腕は、「誰からも認められる投手になって、そこ(沢村賞)を目指していきたい」と宣言。2000年生まれの同学年にはドラフト1位の大阪桐蔭高の根尾、金足農・吉田らスターぞろいだが、プロに入ったら横一線のスタート。世代最強投手となり、近未来の巨人を支えてみせる。

 淡々とした口ぶりとは対照的に、心の中にはプロで戦い抜く覚悟が詰まっていた。プロ入り後の目標を聞かれると、直江は少しの間を置いて、口を開いた。

 「沢村賞は投手としての素晴らしい賞。誰からも認められる投手になって、そこを目指していきたいです」

 しなやかな投球フォームから放つ最速145キロの直球と、縦に大きく割れるカーブやスライダー、チェンジアップ、スプリットを操り、高2の夏には甲子園に出場した。しかし、3年夏は長野大会準々決勝で敗退。出場を逃した夏の甲子園100回大会では、2度目の春夏連覇に輝いた大阪桐蔭の根尾や藤原、金足農の吉田、報徳学園の小園らドラフト1位で指名されたライバルたちが脚光を浴びていた。

 直江は躍動する姿を画面越しに見ることしか出来なかったが「僕は出られなかったので、余計に自分も力をつけて、そういう(プロの)世界でやりたいという思いが強まった。そういう人がいたおかげで、自分もさらに気持ちを高められた」。プロに入れば横一線のスタート。逸材がそろうミレニアム世代の中で、世代NO1を目指していく。

 追うべき背中もある。プロで目標とする投手には、今季沢村賞の選考基準7項目を全てクリアし、史上5人目の2年連続受賞を成し遂げた菅野の名を挙げた。「菅野選手は誰からも認められているエース。そういう力を持った投手になりたいです」と意気込んだ。

 同校の正門の横には、OBで1938年秋季にプロ野球の初代3冠王に輝いた、元巨人・中島治康氏の銅像が今年10月に建てられた。野球部の選手が銅像の清掃をしたり、直江の心の中にもその偉業が刻まれている。「目標は高く持っていないと伸びることはないと思う。プロに入る限りは、一流を目指してやっていきたい」。いつか巨人のエースへ―。将来性豊かな右腕が、プロの世界に挑む。(後藤 亮太)

 ◆中島 治康 松本商(現松商学園)ではエースで1928年夏の甲子園(全国中等野球大会)に優勝。早大を経て、34年に実業団の藤倉電線に入社するが、6月に大日本東京野球倶楽部(東京巨人軍)と契約。三原脩、苅田久徳に続き、契約第3号。同年11月の日米野球でデビュー。兵役を経て36年の第2回米国遠征ではチーム首位打者。38年秋に3冠王。43年から監督兼任となり同年に優勝。50、51年は大洋で51年は監督兼任。MVP1度、首位打者2度、本塁打王2度、打点王4度。52年に読売新聞のアマ野球記者に転身。87年4月21日死去。享年77。

 ◆直江 大輔(なおえ・だいすけ)2000年6月20日、長野市生まれ。18歳。柳町中では中野シニアに所属し、中学2年時には全国選抜野球大会に出場。松商学園高では1年秋からベンチ入りし、高校2年時には夏の甲子園に出場。憧れの投手は桑田真澄氏(スポーツ報知評論家)。184センチ、77キロ。右投右打。

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