報知新聞社 小史

明治 報知新聞社
スポーツ・文化・社会
5年
(1872)
「郵便報知新聞」創刊。木版刷り半紙二つ折り9枚つづり。月5回発行で定価3銭
大相撲の女性、子供の見物が自由となる
新橋ー横浜間で国内初の鉄道が開通
6年
(1873)
活字印刷で日刊紙となる。発行2000部
開成学校で体操を天覧

10年
(1877)
西南の役が起こり、犬養毅記者(後の首相)の「戦地直報」が人気に


11年
(1878)
大隈重信が報知と提携
27年
(1894)
題字から「郵便」が消え「報知新聞」となる
下富坂に柔道の本山、講道館道場落成
日清戦争
30年
(1897)
編集局に「探偵部」を新設。現在の社会部の元祖
31年
(1898)
案内広告の先駆け「職業案内」欄創設。この欄の校正係募集を見て羽仁もと子が入社、後に日本の婦人記者第1号となる
大阪歌舞伎座開場
初の軟式テニス試合、高等師範と高等商業学校の間で行われる
34年
(1901)
正月版に「20世紀の予言」を掲載。テレビや電化、自動車時代の到来など、数々の予言的中
慶応義塾対横浜外国人の初の国際ラグビー試合行われる
39年
(1906)
夕刊を本格的に発行。朝・夕刊8ページ。

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