アントニオ猪木氏、忘れられないデストロイヤーさんの激励と天井から見た足4の字固め

スポーツ報知
日本プロレスWWA世界タイトル戦 デストロイヤー(左)の足4の字固めが力道山にガッチリ決まる(東京体育館で、1963年5月24日撮影)

 「白覆面の魔王」の異名で力道山やジャイアント馬場らと死闘を繰り広げたプロレスラーのザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、米ニューヨーク州北部バファロー郊外の自宅で死去した。88歳だった。

 現役時代に対戦したアントニオ猪木氏(76)は訃報を受け「ザ・デストロイヤー選手は身体はそれほど大きくは無かったですが、非常にテクニックがあって、私の師匠である力道山先生もかなり苦戦した事を強く覚えております。その後私自身も戦う機会がありましたが、体格のハンデを物ともしない努力に裏打ちされた一流レスラーとしてのプライドを感じました。同世代のレスラーとして心よりザ・デストロイヤー選手のご冥福をお祈り致します」と追悼した。

 私は、昨年、猪木氏と直木賞作家・村松友視さんの共著「猪木流~過激なプロレスの生命力~」(河出書房新社刊)の構成を担当させていただいた。同書で猪木氏をインタビューした時にデストロイヤーさんは、海外武者修業時代の恩人だったことを聞いた。1963年12月に師匠の力道山が急逝した直後の1964年から2年間、デビュー以来、初めての米国での武者修業でデストロイヤーさんが心を支えてくれた。「こっちは、初めての海外での試合だったから右も左も分からなくてね。そうした時にデストロイヤーが、私の試合を見て、“いい試合だ。必ずトップになれる”って励ましてくれたんですね」。力道山と激闘を展開した白覆面の魔王からの激励は、修業時代の猪木氏の励みとなり、アメリカンスタイルに覚醒した。凱旋帰国後は、ジャイアント馬場さんと並ぶ日本プロレスのトップに君臨した。

 猪木氏がデストロイヤーさんを語るとき、必ず忘れられない1枚の写真が話題になる。

 「当時の報知新聞が力道山にデストロイヤーが4の字固めをかけた写真を天井から撮影してたんですね。それが新聞の一面にバーンと出て、天井からリングを見たことがありませんから、あの写真のインパクトは、かなりありました」。

 猪木氏に衝撃を与えた写真が、今回、掲載したこの1枚だ。

 額から流血する力道山と白い覆面を真っ赤に染めたデストロイヤーさんの表情。厳密に言えば「4」は反対になっているが、太い足で「4」を決める技の迫力、血が飛び散るマット。55年以上を経た今も生々しさと白熱の攻防が伝わってくる。

 足4の字固めは、カメラマンに天井から撮影するアイデアを生み出すほど好奇心をそそる刺激的な技だった。

 猪木氏は、現役時代、リングに上がれば対戦相手だけでなく、敵の向こう側に見える観客を感じながら試合を行っていた。「それは目の前だけじゃなくて、背中に目が付いているというか。背中でも観客の視線を常に感じながら、闘っていました」と明かす。常にファンの視線を意識していたからこそ、猪木氏のプロレスは、魅惑的でリアルで官能的で見ている者の心へ食い込んできた。

 そんな話をした時に「でも、まさか天井から見られていることまでは考えませんでした(笑)。あの写真を見て、天井からも視線があることを教えられました」。リング上で全身から色気を発散していた“燃える闘魂”。全く別の角度から見られていることを、さらに気づかせてくれたのが、デストロイヤーさんの足4の字固めだった。(記者コラム・福留 崇広)

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