日本を愛し愛された…「白覆面の魔王」デストロイヤーさん死去

「白覆面の魔王」の異名で力道山やジャイアント馬場らと死闘を繰り広げたプロレスラーのザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、米ニューヨーク州北部バファロー郊外の自宅で死去した。88歳だった。関係者によれば死因は老衰という。1963年に初訪日し、得意技の「足4の字固め」で力道山を苦しめるなど空前のプロレスブームを巻き起こした。2017年秋の叙勲で旭日双光章を受章した親日家は、生前「日本にもう一度行きたい」と話していた。
デストロイヤーさんは自宅のベッドで家族に見守られながら米国時間の7日午後0時19分、静かに息を引き取った。息子のカートさんは、フェイスブックで「デストロイヤー、ドクターXことディック・ベイヤー(愛称)が亡くなりました」と訃報をつづった。
デストロイヤーさんの自伝本の訳者で、親交のあった束田時雄さん(58)によると、昨秋から体調を崩し、入退院を繰り返していた。「内臓が弱くなり、老衰で亡くなったと聞いている」と明かした。別の関係者によれば、昨年9月頃に心臓のバイパス手術を受けていたという。最後の来日は2016年9月。先月19日の「ジャイアント馬場没20年追善興行」に参加するため、リハビリに励んでいたが、長距離移動が困難となり断念。生前は「20年東京五輪を見に行きたい」と意欲をみせていた。
アメリカンフットボール選手を経て、54年にデビュー。当初は覆面を着けず、本名で活動していたが、62年に白地のマスクをかぶり、「ザ・デストロイヤー」を名乗り、悪役レスラーとして人気に火がついた。
初訪日は63年。同年5月に東京体育館で行われたWWA世界選手権で、国民的人気を誇っていた力道山と対戦。得意技の「足4の字固め」で力道山を苦しめた死闘は引き分けに終わった。この一戦のテレビ中継は歴代4位の平均視聴率64%をマーク。空前のプロレスブームを巻き起こした。
同年12月の力道山の死後は、馬場やアントニオ猪木とも戦い、お茶の間をくぎ付けにした。また、70年代のテレビのバラエティー番組出演を機に人なつこいキャラクターで大ブレイク。外国人タレントの草分けとしても人気を博した。
マスクの下にはさまざまな顔があった。引退後はスポーツ指導者となり、日米の少年少女レスリングの育成に尽力し、東日本大震災の被災者支援も行った。17年秋の叙勲で旭日双光章を受章した際は「日本は戦争した敵国で憎んでもいた。でも日本と恋に落ちてしまった」と感慨深げに語っていた。
日本でしのぶ会などを行う予定はないが、束田さんによると、息子のカートさんは「日本のプロレス団体、有志ファンがセレモニーを行うならデストロイヤー一家は喜んで賛同する」としている。昭和のプロレス史を彩ったレジェンドが愛されながら天国へと旅立った。
▽対戦経験のあるアントニオ猪木氏「体はそれほど大きくなかったが、非常にテクニックがあって、力道山先生も苦戦したことを強く覚えている。私も戦う機会があったが、体格のハンデをものともしない努力に裏打ちされた一流レスラーとしてのプライドを感じた」
◆ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ジョン・ベイヤー)1930年7月11日生まれ。米ニューヨーク州バファロー出身のドイツ系米国人。米シラキュース大、同大学院卒。得意技は足4の字固め、頭突きなど。主な獲得タイトルはUWA、IWA、NWF、AWAヘビーのほかアジアタッグ、PWF、UN、NWA認定インターナショナルヘビーなど。現役時代の推定サイズは180センチ、120キロ。