学び続けた東大卒女流棋士が受験生に送る、渡辺弥生流「受験定跡」

学問の秋―。史上初の東大卒女流棋士・渡辺弥生女流初段(39)は東大経済学部を卒業後、東大理科1類に合格。将棋と出会って中退し、29歳で女流棋士になった異色の経歴を持っている。勝負の冬への佳境を迎え、悩める受験生たちに贈る渡辺流「受験定跡」とは―。
学ぶことに目覚めたのは、渡辺が新潟県南魚沼市立大和中3年の時だった。「県立国際情報高に推薦入学で入るつもりだったんですけど、学校の中で自分1人だけ落ちたんです。まあ受かるだろうと思っていたら…。あの時、スイッチが入りました」。一般入試で同校に入るため、猛勉強を開始した。授業中はコッソリ受験対策。毎日のように朝まで机に向かって寝坊、遅刻。執念は実り、合格した。
「で、高校に入ってみると成績が良くなっていました。勉強する癖が付いたのかもしれないです」。夢は学者。進学校で成績も良かったため、自然と東大を志すようになった。「学校の周りに何もないような場所だったので、高1からずっと受験勉強してました」。学ぶことが青春だった。
文系受験の極意は数学にある、と断言する。「文系数学は易しいので点数を伸ばしやすいのに、他教科よりも点数に差が生まれやすいんです」。一方で、文系受験生が最も苦手意識を抱く教科でもある。どうすれば―。「私は『暗記』だと思っています。参考書の例題を全て暗記してしまうことですね。aとかbとかではなく、具体的な数字として覚え込んでしまえば苦手でも入ってきやすい。で、試験では暗記を応用して機械的に解く。暗記では対応できない難問は、みんな解けないので放っておきます。暗記する参考書のオススメは数研出版さんの『チャート式』シリーズですね」
東大文科2類に現役合格。一応受けた早大政経学部、慶大法学部など難関私大も全て合格した。「英語も例文を暗記するようにしていました。慣れるために簡単な小説を原書で読むのもいいと思います」
在学中に数学者を志し、卒業後は東大理科1類を受験し直して合格。夢を追い始めたが、周りにいるのは世代の頂点を極めた天才中の天才ばかりだった。「数学的才能に限界を感じて、冷静になりました」。失意の底にある時、両親から「勉強ばかりしていないで、他のこともやってみたらどう?」と勧められたのが将棋だった。
ルールを知っている程度だったが「矢倉」の入門書を読んでいると、初めて勉強以外で夢中になれるものと出会えた気がした。「自分の考えを盤上に具現化できる将棋は本当に面白かったです。3日間全く寝ないでネット将棋と詰将棋をして、1日寝て、また3日間寝ないで…というのを繰り返して楽しくてしょうがなかった時期もあります」。名門・東大将棋部にも入部。没頭した。
25歳の時、理1を中退。将来の展望を失った時、友人は酔狂なことを言った。「あなた、まだ将棋のプロになれるんじゃないの?」
女流棋士養成機関「女流育成会」入会。年齢制限の30歳を迎える寸前、29歳で女流2級への昇級を果たした。「夢を見ているような…本当なのかな…夢じゃないかな…って」
学問、そして将棋。学ぶことをひたすらに重ねた半生を振り返り、渡辺は恐縮したように語る。「つらくないと勉強じゃない、という人もいますけど…私は楽しく勉強をやってきました。私…基本的に好きなことをやりたいようにしかやらないんです。というか、やれないんです。楽しい時は集中している時、という気もします」。悩める受験生たちにとって、ヒントになる言葉かもしれない。
◆渡辺 弥生(わたなべ・みお)1979年9月2日、米ミネソタ州ミネアポリス生まれ。39歳。所司和晴七段門下。8歳時に帰国し、新潟県南魚沼市に転居。県立国際情報高卒、東大経済学部卒、東大理1中退。2006年、女流育成会入会。09年、女流2級(女流棋士正資格)昇級。棋風はオールラウンダー。現在の目標は女流名人リーグ入り。新人王戦、倉敷藤花戦では観戦記者も務めている。