日大国際・和泉貴樹監督が勇退へ 初代監督就任19年で静岡学生リーグ23回Vの名将

静岡学生野球リーグ・日大国際の和泉貴樹監督がこのほど、6月に迎える65歳の定年を前に勇退することを決めた。春季リーグからは松崎裕幸コーチ(49)が指揮を執る。2000年春にチームの初代監督に就任し計23回のリーグ優勝を飾った名将に、19年間を振り返っての思いを聞いた。(構成・里見 祐司)
―19年間、お疲れさまでした。
和泉監督「なんか勘違いされているみたいで、昔のOBが電話をかけてきたり、花を贈ってきたりするんだよ(笑い)」
―退職はまだですよね。
「うれしいけどね。花は学校に飾らせてもらっています」
―リーグ優勝が23回。強さの秘密は?
「試合には『ここ』という勝負所がある。そこで勝負できる人間にならないといけないし、それができるのは日常生活から厳しく自分を追い詰めることができる人です。朝きちんと起きるとか、掃除するとか。そういう決めごとを毎日やれる人間は強いんです」
―普段の生活が大事。
「私も毎朝5時に起きています」
―単身赴任ですよね。ご自身で目覚まし時計をセットして起きているんですか?
「自分で朝食を作って45分に家を出て、三嶋大社まで(約1キロ)散歩して。家族と選手の健康を祈願して、それから(境内で)ラジオ体操。お友達というか、仲間もいますよ」
―それを19年。
「優勝を目指すために、自分が日常生活をしっかりやろうと決めたんです。選手も努力してくれたし、町の人も応援してくれた。みなさんの応援なしでは勝てなかったと思う。いいところですよ、三島は。三島にある、日大国際関係学部の野球部。最高だと思います」
―それまでの準硬式野球部が00年に硬式に移行し、その初代監督に就任。大変だったのでは?
「最初は20人いなかったかな。でも大変だとは思わなかった。野球が好きだったから全力でやってきた。楽しかったね。選手と共に成長させてもらいました」
―やはり基本が大事?
「それは本部(日大)にいたときから言い聞かせてきました。基本ができていない選手は、たまにファインプレーをしても、絶対にミスをします」
―プレーだけではなく。
「社会人として、あいさつなどの基本も大事です。そこがおろそかだと勝てないし、しっかりしている選手は試合でも崩れない。そんな選手が集まればチーム力は磨かれます」
―特に思い出に残る試合はありますか?
「覚えているシーンや試合はいっぱいあります。三重中京に0―6から逆転して全国に出た試合(06年春の東海選手権)とか。15年秋の優勝もうれしかったね。春に負けていた(2位)ので、どうしても4年生に勝たせてやりたかった」
―東都リーグの日大では88年から8年間、監督を務めました。
「勉強になりました。(駒大の)太田(誠)さんを負かすのは大変だった。だから真中(満、前ヤクルト監督)たちがいた92年に優勝できたときはうれしかった」
―今のチームは15年秋から7季連続優勝中です。
「最近は東海のレベル、静岡のレベルも上がりました。負けられない、絶対に勝たなきゃいけない。そう思ってやってきました。途中からはつらかったですね」
―つらかったですか?
「勝負なので監督も緊張感がないといけない。ゲーム前夜は眠れなくなります。選手が頑張ってくれるかな、とか、勝つために色々と考えてしまいます。そのことに疲れたな、というのも(退任理由として)少しありますね」
―しかし、負けないチームです。
「簡単に負けない。後半に強い。他校から『いやらしいチームだな』と言われる。それが日大国際の伝統になってきているのか、それとも監督の力なのか。チームの伝統になっているのであれば、監督が代わっても大丈夫だと思います」
◆和泉 貴樹(いずみ・たかき)1954年6月14日、栃木県生まれ。64歳。外野手。宇都宮商から日大に進み、東都リーグで2度の首位打者に輝いた。卒業後は日立製作所でプレー。その後は母校コーチなどを務め、88年から8年間、日大で監督。00年に日大国際の監督に就任。リーグ優勝23回、全日本大学選手権出場4回。170センチ、74キロ。血液型AB。家族は妻と1女1男。
◆ヤクルト・松井、ロッテ・柿沼らプロ4人育てた
和泉監督は日大で、元巨人で現在はソフトバンクで打撃投手を務める、常葉学園菊川OBの門奈哲寛投手(48)らを輩出、日大国際でもプロ野球選手を4人育てあげた。松井淳外野手(31)と麻生知史内野手(31)が09年のドラフトでヤクルト入り。清水貴之投手(34)は全足利クラブなどを経てソフトバンク入りした。ロッテ入りした柿沼友哉捕手(25)は16年秋にU―23日本代表に選ばれた。独立リーグ(新潟)に進んだ山岸大輝(27)は、現在巨人で打撃投手。「坂本を相手に投げているらしいよ」と監督は誇らしげだった。