スポットライトに照らし出された表情に、優しさと慈悲があふれていた。グラウンド上で見せる明るい笑顔とは少し違う。柔らかい笑みを浮かべて、バレンタイン監督はステージに上がった。「人のために尽くすこと。僕がみなさんの手本となれれば、とてもうれしく思います」恵まれない人々に与え続けた大きな愛。ボビーのスピーチに、万雷の拍手が巻き起こった。
時宜を得た社会貢献活動は被災者の勇気になった。「人々に物ごとを与えることはとても大切なことです」1年を通じて、世界各地の大災害に即座に反応。3月には新潟県中越地震、スマトラ沖地震、台風23号被害の支援を目的とした日本人選抜対外国人選抜による「プロ野球チャリティードリームゲーム」の開催を提案。球団単位でも、2月に韓国ロッテとの練習試合をチャリティー試合として行った。ハリケーン「カトリーナ」が米国を襲った際には、雌雄を決する9月の首位攻防戦のさなか、募金活動に精を出した。
「明日を今日より良い日にしようと思い、今日という日が昨日よりいい日になるように努力する人がたくさんいる。優勝して、パレードをすることだけが夢ではない。周囲の人を助けたいという慈善的な気持ちがあれば、成し遂げられることです」心優しき名将の言葉は愛に満ちていた。
球場外のMVPに輝いたボビーは、次なる目標を定めた。「最大の夢」世界一決定戦の具体案を披露。「アジア王者と北米王者が対戦する真のワールドシリーズが実現すれば、何億円もの利益が生まれる」日本シリーズ、ワールドシリーズを経験した世界唯一の人材は「両国の懸け橋になりたい」と意気込んだ。
実現への最大の障壁は、野球人の愛を持ってクリアする。「問題は利益の分配だけ」と指摘したバレンタイン監督は、「実は簡単に解決できる。分配せずに、利益は世界中の助けを求めている子供たちに寄付すればいい」と提案。今後は財界、野球界に掛け合いながら、最高峰の戦いをチャリティーマッチとして開催する構想を示した。
「真のワールドシリーズが(チャリティー試合として)実現すれば、イベントの勝者は“野球”だ。子供たちの人生をつくり、野球界に戻ってくる子が出てくれば、それが利益だと思う」慈悲の心とともに、膨らみ続ける世界一決定戦構想。ボビーの夢はいつしか、世界の子供たちの夢になる。
◆ボビー・バレンタイン(Bobby Valentine) 1950年5月13日、米コネティカット州生まれ。55歳。南加大から68年にドラフト1位でドジャースに入団。エンゼルス、メッツなどを渡り歩き、79年引退。メジャー通算は639試合、打率2割6分、12本塁打、157打点。85年に35歳でレンジャーズの監督に就任。95年にはロッテを率いて2位。96年から02年はメッツの監督に就任し、00年にナ・リーグ優勝。04年ロッテの監督に復帰。178センチ、84キロ。右投右打。
◆根来コミッショナー「アイデアに感銘」
華やかな表彰式にはスポーツ界や芸能界など各界の著名人が駆けつけ、根来泰周コミッショナー、J・T・シーファー米駐日大使、ソフトバンク・王貞治監督が壇上でバレンタイン監督に祝福のコメントを寄せた。
約400人の来場者が一様に驚きの表情を浮かべたのは、シーファー駐日大使が祝辞の冒頭でバレンタイン監督との関係を語ったときだった。ブッシュ米大統領らが1989年にテキサス・レンジャーズを買収し、当時指揮を執っていたバレンタイン監督の“上司”だったことはすでに知られている話だが、そのとき米大統領と共同オーナーを務め、10年以上も前から交流があったと明かした。
「レンジャーズ時代からお付き合いがあり、当時からバレンタイン監督はファンを大切にしていた。自分の役割をこなした上で社会にも目を向ける見本となるような人物だった」と振り返った。
根来コミッショナーは「『日本人選抜VS外国人選抜』によるチャリティー試合というのは私どもが考えつかない発想で大変感銘を受けた」とアイデアに敬服。王監督も「口だけでなく行動したことに敬意を表したい」と話せば、長嶋茂雄・終身名誉監督もバレンタイン監督の「実行力」をメッセージで称賛していた。
◇選考委員(敬称略、順不同) 根来泰周(プロ野球コミッショナー)、豊蔵一(セ・リーグ会長)、小池唯夫(パ・リーグ会長)、長嶋茂雄(読売巨人軍終身名誉監督)、佐山和夫(作家)、伏見勝(報知新聞社最高顧問)、小松崎和夫(報知新聞社社長)