高木美帆、得意1500Mへ手応え…3000M自己ベスト5位「力出し切れた」

◆平昌五輪第2日 ▽スピードスケート女子3000メートル(10日・江陵オーバル)
2大会ぶりに出場した高木美帆(23)=日体大助手=は、女子3000メートルで4分1秒35の5位に終わった。日本勢の第1号メダルはならなかったが、低地リンクでの自己ベストを大幅に更新。今季W杯4戦4勝の本命で、日本女子初の金メダル獲得に挑む12日の1500メートルへ「もうちょっとできそうなことがある」と手応えをつかんだ。
初出場の佐藤綾乃(21)=高崎健康福祉大=は8位、2大会連続出場の菊池彩花(30)=富士急=は19位だった。オランダ勢が表彰台を独占した。
高木美が8年ぶりに帰ってきた五輪で力強く滑り出した。初戦の3000メートルは5位で表彰台を逃したが、4分1秒35は1年前に同じ会場で記録した低地ベストを3秒15も上回った。同走した3位のデヨングとは1秒33差。勝てずに「悔しい」としたが「持っている力は悔いなく出し切れた。この舞台で表彰台に乗る力がなかった。でもこの先、できることはたくさんある」。次への闘志が湧いてきた。
15歳で五輪の怖さを知った。史上最年少で出場した10年バンクーバー大会。世界のトップ選手の滑りを見るうちに「勘違いして、舞い上がった」。2種目で23位と最下位。“スーパー中学生”の夢の時間は、あっという間に終わっていた。
その4年後には、さらなる挫折が待っていた。ソチ五輪落選。当時、高木美が入学した日体大の青柳徹監督(49)は「19歳なのに妙に落ち着いて、中堅かベテラン。あと数年で引退というような選手」という印象を抱いた。変化を嫌がり、自分用に購入してもらったトレーニング用の自転車にも乗らなかった。「落ちることはないだろう」と臨んだ13年12月の選考会。現実を突き付けられ、リンクの裏で人知れず号泣した。
姉の菜那の試合を国内でテレビ観戦したソチ五輪後、「新しいスケート靴を作りたい」と願い出た。新設されたナショナルチームに入り、日本では珍しかった自転車で数十キロを走るメニューに食らいついた。オランダ人のデビット・コーチが「自分たちが一番ハード」と自負する練習量。甘さを捨てて過ごした4年を経て、日本勢の表彰台が一度もない種目で、世界と戦えることを証明した。
メダルには届かなかったが真剣勝負を味わった。最大5種目に出場の可能性があり「この舞台で戦うチャンスが人よりあることは強みになっていく」。次は12日の1500メートル。今季のW杯は4戦4勝の得意種目だ。「このレースの結果を無駄にしないでいきたい。このリンクではスピードを出した方が感じがいい。さらに強い気持ちで挑みたい」と決意。「悔しさは五輪の結果でしか晴らせない」と力を磨いてきた4年間。全てを糧にして1500メートルにぶつける。(林 直史)
◆五輪での女子3000メートルの日本勢入賞 女子が正式種目になった1960年スコーバレー大会で高見沢初枝が4位に。結婚して長久保姓になった64年インスブルック大会は、妊娠を隠して出場して6位に入った。その後、88年カルガリー大会の橋本聖子が7位、94年リレハンメル大会の橋本6位、山本宏美7位、02年ソルトレークシティー大会の田畑真紀6位、10年バンクーバー大会で穂積雅子が6位に入っている。
◆高木 美帆(たかぎ・みほ)1994年5月22日、北海道・中川郡幕別町生まれ。23歳。兄、姉の影響で5歳からスケート、小2からサッカーを始める。スピードスケート史上最年少での五輪代表となる15歳で出場したバンクーバー五輪は1000メートルで35位、1500メートル23位。13年に帯広南商から日体大に進学。17年3月に卒業し助手に。164センチ。家族は両親と兄、姉。姉の菜那(25)も今大会に出場。