【阪神】福留、星野さん追悼試合志願出場 教え守りフルスイング「監督が見ているんだろうな」

スポーツ報知
3回2死、左中間二塁打を放った福留

◆オープン戦 阪神2―2中日(10日・甲子園)

 星野さんの教えを実践した。3回2死。福留は左腕・笠原の外角低め直球に踏み込んだ。強振した打球は、低い弾道で左中間を破った。

 「(自分の)持ち味は全力でスイングすること。監督に『それをやめるな』と言われていたので、今日は何があっても全力で振ろうと思っていた」。中日入団1年目の99年、当時の星野監督の言葉を思い出しながら、フルスイングを天国に届けた。

 1月4日、70歳で死去した星野仙一氏の追悼試合。献花台が甲子園外周に設けられ、1万6913人が花を手向けた。甲子園でのオープン戦では8年ぶりに3万人超えの3万2165人の観衆が集まった。阪神は星野氏の監督時代の背番号77、中日は選手時代の20(左胸部は77)を背負った。スロー調整中の福留も、グラウンドに立たないわけにはいかなかった。「お世話になったので、プレーできる状態であればプレーしたかった」。志願してオープン戦初出場(2月25日の中日戦は降雨ノーゲーム)。紅白戦を含めた実戦5打席目で今年の初安打を放った。

 「きょうもツーベース。監督が見ているんだろうな」。プロ初安打は99年4月4日の広島戦(ナゴヤD)での右中間二塁打。追悼試合でも二塁打を放ち「まだまだ元気に頑張りますよというのは、見せられたのではないかな」と笑った。

 03年、18年ぶりに阪神をリーグ優勝に導いた闘将のキャッチフレーズは「勝ちたいんや!」。この日、チームは今年初勝利をささげることができなかった。1点リードの9回、マテオが同点にされ、オープン戦開幕6連敗を止められなかった。

 金本監督は「特別な日なので、勝って終わりたかった」と悔やんだ。星野監督に請われて広島からFA移籍した03年。面と向かっては褒められなかったが、指揮官の称賛コメントを新聞で読んで「ほんまに、こんなことを言ってくれたんか?」とにやけた。男と男の絆で結ばれていた2人。「2003年の喜びというものを、選手に味わわせてやりたい」と決意を新たにした。(長尾 隆広)

 ◆星野さんと福留 PL学園・福留は95年のドラフトで高校生史上最多の7球団が1位競合。星野中日も指名したが、近鉄がクジを引き当てた。近鉄入団を断った福留は日本生命に進み、98年のドラフトで中日を逆指名して1位で入団(2位が岩瀬)。1年目から星野監督の起用に応え、132試合で打率2割8分4厘、16本塁打とリーグ優勝に貢献した。01年までの3年間、星野監督の下でプレーした。

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