第2回受賞者(2000年) 日本ハム・片岡篤史

2000年12月7日6時0分  スポーツ報知

第2回受賞者(2000年) 日本ハム・片岡篤史
 プロ野球選手の社会貢献活動を対象にした「ゴールデンスピリット賞」(報知新聞社制定)の第2回表彰式が12月6日、東京・虎ノ門のホテルオークラで行われた。式には受賞者の日本ハム・片岡篤史内野手(31)をはじめ、巨人・長嶋茂雄監督(64)ら選考委員、歌手の浜崎あゆみ(22)、人気デュオ「ゆず」など多彩なメンバーが出席。伏見勝・報知新聞社社長からトロフィーを受け取った片岡は、報知新聞社と連名で寄付できる200万円の一部を、PL学園の先輩で車いす生活を送っている清水哲さん(34)のために使うことを明らかにした。
 晴れのステージでフラッシュを浴びた片岡は、自らの地道な努力が評価されたことを素直に喜んだ。「この壇上に上がることが出来る人はそういない。そう思うととてもうれしい」

 1995年から児童養護施設「愛隣会目黒若葉寮」への慰問と東京ドームへの招待。さらに98年からは安打1本につき1万円の「片岡基金」を設立。子供たちを励まし続けたことが今回の受賞につながった。

 200万円が受賞者の指定する団体、施設などに贈られるが、片岡は若葉寮に50万円。「地元の京都でも恩返しがしたい」と、実家に近い京都・久世郡久御山町のくみやま共同作業所に100万円。そしてPL学園の先輩で車いす生活をしている清水哲さんに50万円を贈ることを決めた。清水さんは桑田、清原の1年先輩で同志社大に進学。プレー中の事故が原因で首から下がまひして野球を断念。片岡にとってはPL学園、同大を通じての3つ上の先輩になる。「自分ももう野球が出来ないのではと思ったこともあった」入団3年目に右ひじのじん帯を断裂、オフに左手首のじん帯を移植する再建手術をした。一昨年にはオフに右肩を脱臼。一時は野球生命絶望と言われた。懸命なリハビリで乗り越えたが、五体満足で野球が出来るありがたみは人一倍感じている。

 今年はパ・リーグで唯一、135試合フルイニングに出場。今季は打率2割9分、21本塁打、89打点の成績を残した。本塁打と打点は自己最多と満足のいく成績を残したが優勝には届かなかった。「来年で10年目。まだ優勝したことがないので21世紀最初に優勝したい」と言い切る片岡。来年、この場で優勝の報告をすることを誓っていた。

 ◆片岡 篤史(かたおか・あつし) 1969年6月27日、京都府久世郡生まれ。31歳。PL学園3年の87年には甲子園で春夏連覇。その後同志社大に進み、91年ドラフト2位で日本ハムへ。今季の成績は打率2割9分、21本塁打。来季年俸は1億8000万円。188センチ、91キロ。右投左打。

 ◆ゴールデンスピリット賞 積極的な社会貢献活動を行った日本のプロ野球関係者を表彰するため、1999年に報知新聞社が制定。第1回は巨人・松井秀喜選手が受賞した。欧米では社会貢献が高く評価され、米大リーグ「ロベルト・クレメンテ賞」が有名。今回は避難生活を送る三宅島の少年たちを球場に招いた横浜選手会、阪神・淡路大震災や台湾地震などの被災者チャリティーを続けてきたオリックス・イチロー選手ら多数の候補の中から、6年間にわたって地道な活動を続けた片岡選手が選ばれた。受賞者には東京芸大・絹谷幸二教授製作のゴールデントロフィーと副賞が贈られる。また、受賞者は報知新聞社と連名で、指定する団体、施設などに200万円を寄贈できる。

 ◆寄せ書きに「ジ~ンときた」 片岡が表彰式で一番喜んだのは「若葉寮」の子供たちから寄せ書きが贈られたときだ。授業のため出席できない子供たちに代わって須藤春夫施設長から手渡された瞬間、片岡は「ジーンときた」。昨年訪問した時の集合写真のほか、寄せ書きには43人の子供たちのお祝いの言葉がぎっしり。須藤施設長は「子供たちも片岡さんの受賞を知って喜んでいます。今、寮には片岡コーナーがあるんです」。温かい贈り物をもらって片岡も寮を訪問する10日を心待ちにしている。

 ◇選考委員(敬称略・順不同) 川島広守(プロ野球コミッショナー)、長嶋茂雄(東京読売巨人軍監督)、竹下景子(女優)、佐山和夫(作家、日本ペンクラブ会員)、伏見勝(報知新聞社社長)

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